ペルソナ3の考察。主人公のラストから見るP3の魅力

今回は「ペルソナ3ポータブル(P3P)」の考察をしていきます。
チラシの裏を見る感じで、暇つぶしにご覧ください。
まだペルソナ3やペルソナシリーズについて知らない人は、こちらの記事から読んでください。
また、2024年初頭に発売予定の「ペルソナ3リロード」についての情報は、以下にまとめてあります。
まずは、主人公のエンディングについて取り上げていきます。
主人公のラストについて
なぜペルソナ3のエンディングは異色だったのか?

ペルソナ3は、後発のペルソナシリーズ(ペルソナ4、ペルソナ5)と比べても異色のゲームだと感じる人も多いでしょう。
ペルソナ4やペルソナ5と比較して、ペルソナ3は「何となく嫌な気分になる」という感想も見られます。
自分は、
- 主人公のラストが重い
- 主人公自身がその結末に(ある程度)満足している
これらの要素が「プレイヤー=主人公」という没入感を阻害する原因になっているためだと考えています。
ペルソナ4やペルソナ5と同じく、ペルソナ3も「主人公=自分の分身」という形でプレイしていくゲームですが、この2つのゲームにおいては、エンディングまで「プレイヤー=主人公」という認識でいても不快感はありません。
しかし、ペルソナ3の場合は違います。
「主人公=プレイヤー」とした場合、エンディングを迎えると、強制的に主人公と引き離されてしまうことに戸惑いを覚える人は少なくないはずです。
しかし、ペルソナ3のテーマを考えてみると、このような唐突な「主人公とのお別れ」とそれに伴う不快感・悲しみ・困惑は、ある程度計算されてストーリーが設定されていることが推測できます。
キャラクターとプレイヤーが同じ目線に立つ

以前、ペルソナ5ザ・ロイヤルの考察記事では、「主人公とプレイヤーが、3学期を通じて乖離していくストーリー設計がされている」と考察しました。

一方、ペルソナ3では反対に、プレイヤーと主人公の人物像が段々と近づいていくように設計されいます。
- 身の回りで起きていることが分からないプレイヤーと主人公が、謎を解き明かしていく
- 無気力な主人公に段々と人間味が増していく
- コミュを通じて、プレイヤーがキャラクターに対する愛着を深めていく
こうしてプレイヤーがペルソナ3の主人公やキャラクターに対し「人間に対する親近感」を覚えたところで、ゲームはエンディングを迎えます。
このとき、単なるゲームであれば「エンディング=ゲームクリア」となり、爽快感だけがあるはずです。
しかし、ペルソナ3では、プレイヤーが主人公に共感したところで「死」という唐突な別れが突き付けられます。
何年か前の話ですが、アトラス(開発)側が「計算してこのようなエンディングになるようにストーリーを設計している」とインタビューで見たことがあります。
(手元に情報がないので、出典は不明です。)
アトラスとしては、ペルソナ3を単なる英雄譚にはしたくなかったのかもしれません。
より身近に、あなた、もしくはあなたの友人に起こった出来事として、ペルソナ3のキャラクター達のことを感じてほしかったのではないかと考えています。
Ad
ペルソナ3における「2人の主人公」
対比によって描き出されるテーマ

「生と死」「見送るものと見送られるもの」。
このような2つの要素の対比を描き出すことを目的とするならば、「ペルソナ3の物語における主人公」が「主人公(転校生)」と「アイギス」になるのは必然であると言えます。
「生と死」がメインテーマである以上、「死にゆくもの」と「それを看取るもの」という2人のメインキャラクターが必要でした。
また、「人としての生の意味」を物語で描く中では、「人間」と「人間ではないもの」の対比も重要になってきます。
対極的でありながら、どこか近しい要素を持つ
それは「主人公と望月綾時」だけでなく、「主人公とアイギス」の関係にも見ることができます。
主人公 | アイギス | |
初期 | 無気力な人間 | 感情が乏しい機械 |
ニュクス戦前 | 仲間や知人友人を思いやる | 主人公を守る意志を持つ |
エンディング | 後につなぐ、未来への希望を抱いた死 | 主人公の死の真相に向き合う |
エンディング後 | 不変 | 新たなる旅立ち |
(P3Pを踏まえると、「主人公は3人いる」と言えますが、ゲーム中において、男主人公と女主人公が出会う場面はありません。
この記事の考察では、男主人公と女主人公は、どちらも「主人公」という「1人」として数えています。)
ペルソナ3本編で「転校生」を主人公とし、ペルソナ3FESでアイギスを主人公とするストーリー設計は、ペルソナ3で掲げたテーマを最大限書ききるために必要なことだったと推測しています。
ペルソナ3FESについても賛否両論で、「どこか生々しい」と感じる感想も見られました。
しかし、本来ゲームには感じられないはずの「どこか生々しい」部分が、他のシリーズとはまた違う味を出せる「ペルソナ3」の魅力なのかもしれません。
ペルソナ3における「真の敵」とは?

ペルソナ3という物語のテーマが「生と死」、勝利条件が「絆を紡いだ大切な人達を守る」ということだとすると、主人公たちにとっての「真の敵」はニュクス(絶対の死)ではありません。
仮にニュクスが敵であるとするなら、物語ラストで主人公は絶対の死に敗北したことになります。
では、ペルソナ3における「真の敵」とは何でしょうか?
答えはペルソナ3の物語冒頭や、BADエンディングで示唆されています。
自分は、物語の冒頭で出てきた「無気力症」または「エレボス」といった、「生きることへの希望が失われた状態、死を望む心」こそが大敵であると考えています。
なので、エンディングにおける主人公の最期は、「自分がニュクス(死)に敗北する代わりに、仲間はニュクスに勝たせた(生き延びさせた)」という、単純な「生き残った」「死んでしまった」という意味ではありません。
物語冒頭での「どうでもいい」というセリフを連発するような「人との絆に意味を見出していなかった自分」「生に対する無気力感を抱いていた自分」に対する勝利の形がペルソナ3のエンディングにつながっています。
ペルソナ3という作品全体を通しても、「己や大切な人の死と向き合い、立ち向かう意思」を育むことをテーマとしています。

特別課外活動部のメンバーや、コミュで出会う何人かの人も、
「誰かの死」と向き合い、それぞれの答えを出していますね
Ad
ペルソナ3は「生と死」のリアリティーを描いた革新的な作品

ペルソナ3は「生と死」という重いテーマを抱えた物語にも関わらず、それを(少なくとも当時としては)現実的に書ききった点が革新的だと考えています。
この手の物語のラスト=主人公のラスト、という作品は多くありますが、ある種の「英雄の冒険譚」として描かれることが多いです。
ペルソナ3の主人公は、特殊な出自やペルソナ使いという特異な素養はありつつも、「等身大の学生」という一般人としても描かれています。
主人公が送った1年を通して、「英雄の冒険譚」が「私たちの日常」と感覚がリンクするように丁寧に作られているのが、年月を経てもペルソナ3の魅力があせない理由の1つでしょう。

マンガと映画では、P3主人公の名前や性格が違ってるね!
同じ「ペルソナ3」というメディアであっても独自の面白さが出てくるのも好きだな

自分が遊んだゲームと、マンガ・映画を見比べて、
それぞれのP3主人公の「色」を楽しむのもクリア後のお楽しみの1つだね!
マンガアプリ、動画アプリについては、以下の記事で紹介しています。
ペルソナ3を遊んだ人は、続くペルソナ4ザ・ゴールデン、ペルソナ5ザ・ロイヤルもぜひ遊んでみてください。
それぞれのゲームでは、人生で直面する重いテーマをシビアに描きつつも、それ以上に明るく、プレイヤーを魅了する活き活きした登場人物達があなたを出迎えてくれるでしょう。
ペルソナシリーズのクリア後考察